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ダイヤモンドカット発展の歴史と技術

ダイヤモンドカット発展の歴史と技術

更新:2017年05月15日

ダイヤモンドカット発展の歴史と技術

アントワープブリリアントカットのダイヤモンド

一般にダイヤモンド加工の歴史はダイヤモンド固有の超硬素材であり脆いという極めて稀な特性の為、他の宝石とは比較にならない特殊な問題を解決していく歴史でもありました。

予備知識として・・・クリービングとソーイング

ダイヤモンドの結晶は6・8・12・24面体の等の等軸状結晶です。この等軸結晶に対して平行には劈開(へきかい)という結合力の比較的弱い面を使って割る事が出来ます。劈開を使ったカット方法をクリービングと呼びます。またダイヤモンドの切断や研磨においては結晶構造上無視する事が出来ない切断可能方向が有りこうした結晶の方向をグレインと呼びます。
つまり、ダイヤモンドが現在の様な鉱山で採掘するのではなく、偶然発見されるなどの場合は結晶の角が取れて丸みを帯びていたために原石の面帯が看破できず、劈開も不明でクリービングする事が難しかったのです。へき開方向を見誤れば「思わぬ方向へ砕けてしまう」ことになります。
ダイヤモンドは原石の形に関わらず石の内部で最も柔らかい六面体面と次に柔らかい十二体面とが有り、この面に沿ってダイヤモンドパウダーを使い切断する事が出来、これをソーイングと呼びます。 ダイヤモンドの輝はブリリアンス、ディスパージョン、シンチレーションの3要素で構成されています。簡単に言うとブリリアンスは全体の輝き、ディスパージョンは光の分散、シンチレーションは鏡面反射、この3要素のバランスがダイヤモンドの輝きを決めています。

ダイヤモンドの産出状況

超希少鉱物であるダイヤモンドは1866年にアフリカで最初のダイヤモンドが見つかるまでは主要な産地はインドと僅かにブラジルで産出するのみでした。その産出量は総量にして10万カラットと言われます。(1902年に開かれた南アフリカのプレミア鉱山は1年間で300万カラットを産出しています。)古代インドのムガール帝国では、ダイヤモンドをカーストの証として所持していた為に 整った原石のダイヤモンドは権力の証であり、とても重要なためインド国外へ持ち出されることは稀でした。
本当に限られた一部を除いてヨーロッパでは形の不揃いな”インドで使用しない低品質な”ダイヤモンド原石しか輸入する事ができませんでした。ヨーロッパでは低品質原石をどうにかして加工する必要がありました。このため産出国のインドでよりもヨーロッパでダイヤモンド加工の歴史が始まります。(1600年代以降に東インド会社を足掛かりにインドがイギリス領となるとインドの主要なダイヤモンドはヨーロッパへ持ち出されることになります。)

ヨーロッパへ持ち込まれたダイヤモンド

双晶のダイヤモンド結晶をマクルと呼びます

14世紀までにインドからヨーロッパへ持ち帰ったダイヤモンドは8面や6面12面と言った等軸結晶の美しいダイヤモンドでは無くインドで使い物にならなかった低品質やマクルと呼ばれる双晶結晶のダイヤモンドだけでした。身分制度の証にダイヤモンドを使っていたインドでは冒険者に王と同じ位を表す等軸の美しいダイヤモンド結晶を手渡すことは無かったのです。
その為、インドからヨーロッパへもたらされたのは結晶の崩れたニアジェム品質以下のダイヤモンドとマクル結晶のダイヤモンドだけでした。そうした歴史の解説からダイヤモンドの加工の歴史を書いて行きます。

紀元前7世紀~14世紀 征服されざる者

人類史に最初にダイヤモンドが登場するのは紀元前7世紀ころです。当時唯一の産地であったインドではダイヤモンドをカースト(身分)制度の象徴として珍重していました。
ダイヤモンドは衝撃に脆い反面、ひっかき傷には非常に硬い性質を持っていました。その性質を利用して身分の高い者(王や貴族)は結晶の整ったダイヤモンド原石をリングにそのままセッティングしてダイヤモンドを原石のまま身に着けたのです。
これはダイヤモンドは硬すぎて加工できない事が原因してました。それでも古代インドでは木の板や革を固定して、ダイヤモンドの粉末をオリーブ油に溶いてペースト状にして塗り込み、ダイヤモンドを手に持って擦っていくという研磨方法で僅かにダイヤモンドの研磨面を作っていたようです。
これはインドのダイヤモンドが二次鉱床からもたらされるもので、ダイヤモンドの原石表面は自然に磨かれ艶消し状態になっており、角は取れて丸くなっていたことが原因していたようです。
この表面を少しだけ磨いた加工をムガールカットと呼びます。しかしそれも途方もない作業時間が必要だったために美しい原石にはあまり行わず、形の崩れた原石に対して表面を磨く簡単な加工として施していたようです。
古代ローマのプリニウスも博物誌の中で「“Diamond is the most valuable, not only of precious stones, but of all things in this world.”「ダイヤモンド は、貴重な石だけでなく、この世界のあらゆるものの中で最も価値があります。」と記載しています。
プリニウスは紀元50年頃の人物ですので2000年前には既に貴重な宝石としての認識を世界中が共有していたことに成ります。

ダイヤモンドのポイントカット

1300年頃(14世紀)地上で最も固い鉱物であるダイヤモンドを割る方法が発見されます。ダイヤモンドは結晶の方向で強い方向と弱い方向があり、その原石の弱い方向に沿って衝撃を加えると劈開(へきかい)して割る事が出来ます。
へき開を使ってダイヤモンドを割る事をグリービングと呼びます。このグリーピング技術を使って原石の形を整えた後に表面を仕上げたカットがポイントカットと呼ばれる当時最新のダイヤモンドの形でした。さらにダイヤモンドの結晶同士を擦り合わせて磨く方法も発見されます。
木の板や革を固定して、それにダイヤモンドの粉末をオリーブ油に溶いてペースト状にして塗り込み、ダイヤモンドの方を手に持って擦って磨く研磨法です。この時代ダイヤモンドの特性がまだまだ謎に包まれていたのです。
※それ迄もダイヤモンドを割ることは出来ていたようです。しかしグリーピング技術が見つかるまではへき開が判らなかったため割れる方向は”神のみぞ知る”領域だったのです。因みに1860年以降ダイヤモンドの一次鉱山が発見されるまで、ダイヤモンドは等軸状結晶で有り6~24面の様々な結晶形を持つ炭素の総称である事は判りませんでした。
その為、結晶目に沿って存在する劈開面も謎であり、14世紀のへき開技術は常に8面結晶を想定して行われていました。8面以外のダイヤモンドを8面の劈開に沿って割ろうとすれば思わぬ方向に砕けてしまう為、失敗も多くあったのです。そうした8面以外のダイヤモンドは偽物であるとされました。

ダイヤモンドのテーブルカット

1450年頃(15世紀中ごろ)になるとポイントカットの上下を切断した形のテーブルカットが登場します。ソーイングの技術を使って六面体面と十二体面を見極めてカットしていきます。ダイヤモンドの粉末をオリーブ油に溶いてペースト状にした研磨剤を使いソーイング・マシーン(切断機)を使って切断していました(動力源は人力や水車や牛などの家畜)。
円盤状のソーイング・ブレードにペースト状の研磨剤を塗布し固定したダイヤモンドを押し当てると少しずつ研磨できます。この際研磨する石自体から出るダイヤモンドの粉末がソーイング・ブレードに絶えず装着される画期的な仕組みでした。
ソーイング・ブレードやスカイフ等、現在もダイヤモンド研磨の現場で使われる専用の研磨機やダイヤモンド研磨専用の器具が開発されたのもこの頃で、ブルゴーニュ公国のシャルル突進公に仕えたダイヤモンド研磨師、ルドウィック・ヴァン・ ベルケム(Lodewyk van Berken)らの活躍によりダイヤモンドの研磨技術は飛躍的に進化していきます。

ダイヤモンドはソーイング方向と劈開が合わないと全くキズも付かない

テーブルカットに登場したソーイングマシーンですが、切断可能方向にのみ有効な切断方法である事は言うまでもありません。ダイヤモンドは結晶形によって異なる加工可能方向、劈開(へきかい)やグレインをもっていて、この方向に平行にしかソーイング出来ないのです。へき開やグレインに沿わない方向に加工しようとした場合ソーイングブレードが壊れてしまい、ダイヤモンドには傷一つ付きません。

1990年にBROOCHでソーヤブル原石(1ctサイズ直径約7㎜)をセンターソーイングして2つに切断する作業を行った際、ソーイングブレードを丸7日間昼夜を問わずフル稼働させてようやく切断出来た記憶が在ります。1日(24時間)に切れたダイヤモンドは僅かに1㎜でした。15世紀の動力でダイヤモンドをソーイングする作業は途方もない時間と労力がかかったと推測されます。

ダイヤモンドの研磨技術は飛躍的に進化していきます

研磨機やダイヤモンド研磨専用の器具
15世紀中ごろはソーイング・ブレードの動力源は人力や水車や牛に引かせたりなど、さらにはスカイフの登場でこの時初めてダイヤモンドに直線的で平らな面を研磨出来る様に成ります。

ダイヤモンドに直線的で平らな面を研磨出来る様に成ります

ダイヤモンドの研磨技術 

ダイヤモンドの研磨の魔術師フィリッペンス・ベルト氏

交換用の鋼鉄製のスカイフを持つのは現代の巨匠フィリッペンス・ベルト氏。

マクルは双晶のダイヤモンド原石

16世紀になるとマクルと呼ばれる平べったいダイヤモンド原石をポリッシュして蕾(つぼみ)型に面を付けたローズカット(薔薇のつぼみに似ているドーム型のダイヤモンドをローズカットと呼びます。)などのより複雑なカットが登場します。
ローズカットのダイヤモンド
ダイヤモンドのシンチレーションを楽しむこのカットはこの後、ダイヤモンドのグレインや石の内部で最も柔らかい六面体面と次に柔らかい十二体面とが有る事などが一部の腕利きの職人の間で研究され明らかになり、12面、16面、24面、32面とより複雑なカットが登場します。
当時はロウソクの明かりの元で幻想的に輝くことが求められたため、最先端技術を駆使して作られたローズカットなどの曲線面にモザイク模様の様な面をつけたカットが注目の的となり社交界や貴族の間で大人気となる。

オールドシングルカットの登場 

その後17世紀にはついにインドのダイヤモンド鉱山が外国人に開放されます。
ダイヤモンド鉱山を管理していたインドのゴルコンダスルタン国ではダイヤモンドの鉱山を兵士に守らせていて、産出するダイヤモンドの内10カラット以上の物だけを特別に輸出管理していたようです。ゴルコンダスルタン国王はダイヤモンドの販売に10%の税を徴収していてダイヤモンド鉱山の運営費用に充てたと言います。
そのダイヤモンド鉱山に埋蔵されているダイヤモンドを買う事が出来ない場合、ダイヤモンド原石を強奪したり盗んだり、ある時は自然災害に見せかけて取り上げようと試みる輩が後を絶ちませんでした。ダイヤモンドを狙うトレジャーハンターたちの間では強奪に失敗してヨーロッパ本国で報告するときに「眼力の強い蛇がダイヤモンドの谷を守っていて、睨まれると石になる」などの言い訳を伝説として語った為に、本当にインドの山奥にはそうした蛇が居ると言信じられていた。この鉱山はゴルゴンダコーラルと呼ばれる鉱山で多くの巨石を世界にデビューさせました。当時ジャン・ダヴェルニエ等多くの冒険者がヨーロッパからインド・ゴルゴンダを目指しました。

コーラル鉱山(ゴルゴンダ)産出と考えられているダイヤモンド一覧

  1. コ・イ・ヌール
  2. グレート・ムガル
  3. ブルーホープ
  4. ヴィッテルスバッハ・グラフ
  5. リージェント
  6. ダルヤーイ・ヌール
  7. オルロフ
  8. ニザーム
  9. ドレスデングリーン
  10. ナサックダイヤモンド

その後17世紀までダイヤモンドの研磨やカットは器具の進化と共に複雑さを増し、次第に中心から放射線状に多数の研磨面が対称的に刻めるようになっていきます。
いよいよ現在のダイヤモンドの形に近づいてゆきます。テーブルカットの稜線を研磨してクラウン部分にテーブルとベゼル・ファセットを8面、パビリオンにキューレットとパビリオン・ファセットを8面つけたオールドシングルカットが登場。

ダイヤモンド・マザランカット

17世紀後半にはマザラン・カットの登場。ほどなくダイヤモンド内部に入射した光がパビリオン部分で反射してクラウンから出る事になるダイヤモンドのブリリアンスに注目が集まりどの様にしてブリリアンスを引き出すかがカットのテーマに成って行きます。
また変五角形のプリズムが発見されたのもこの頃で同時にディスパージョンの研究も進みます。このマザラン・カットは最初のブリリアントカットと呼ばれダイヤモンドの持つ高い光の屈折率によって生み出される虹色の輝きや物質上最高硬度であることから生まれる平滑度の高い研磨面から跳ね返る強い光に注目が集まり研究が進みました。

ダイヤモンド加工オールドマインカットはトリプルカットとも

17世紀末にはオールドマインカットが登場します。(トリプルカットとも呼ばれる)このカットはブルーティングという新しい技術を駆使して正面から見たダイヤモンドの輪郭を丸く仕上げていて、現在のブリリアントカットの原型になっていると言われています。
最初は原石を旋盤状のダイヤモンドを固定する器具(ドープ)にセットし、もう一つの研磨用ダイヤモンドをセットした工具に押し当てて高速で回転させ、テーブルを正面に見たダイヤモンドの外周を丸く曲線状に仕上げていました。ダイヤモンドのガードル部分を仕上げると言う意味でガードリングとも言われます。 当時は人力ペダルが動力源でしたので気の遠くなるような作業だったと思われます。

現在のブルーティングマシーン

最新のダイヤモンドの研磨ではガードルを決めることでベースサイズを決まる
現在のブルーティングマシーン、最新のダイヤモンドの研磨ではガードルを決めることでベースサイズを決めて、ベースサイズを元にテーブル径を決めてソーイングしていく流れなので、このブルーティングはダイヤモンドカットにおいて最初に施される加工なのです。

ダイヤモンドのオールドヨーロピアンカット

18世紀初めにはオールドマインカットを進化させたオールドヨーロピアンカットが登場。ブルーティング技術が向上しテーブルを正面に丸い形状に仕上げる事が出来る様になります。58面体に研磨されたこのカットは現在のラウンドブリリアントカットのルーツと呼ばれています。

ダイヤモンドの研磨仕上げ
1800年初頭それ迄ダイヤモンドの産地であったブラジルとインド両方が枯渇してしまい、ダイヤモンドは新しい原石が鉱山から供給されない時期が続きます。この時代”アメリカダイヤモンドカットの父”と呼ばれたヘンリーDモースは独自に開発した蒸気機関式のブルーティングマシーンを駆使して比較的自在にダイヤモンドのガードルを削り出すサービス【ダイヤモンドのリカット】を提供し始めます。
”重さより輝き”というキャッチコピーで仕上げられるヘンリーDモースのダイヤモンドはたちまち話題となります。ヘンリーDモースはそれまでに販売されたダイヤモンドを少し軽くなりますが、それ迄よりも輝かせる事に重点を置いたのです。
それはつまり、現在のダイヤモンド加工の考え方とほとんど同じ方向性でもあります。

ダイヤモンドのラウンドブリリアントカット

ヘンリーDモースによってダイヤモンドは輝き求めるというあたらしい局面に突入します。そして1919年光学理論と数学によってダイヤモンドの理想的な形がマルセル・トルコフスキー(Marcel Tolkowsky)の著書「ダイヤモンドデザイン」の中で発表されます。(※当時としては理想的とされたトルコフスキー案は不完全性が指摘される1980年までG.I.A.の教科書にも採用されていました。)
ヘンリーDモースによって発案された輝きを求める考え方はマルセル・トルコフスキーの考案したダイヤモンド設計図で実現へと向かいます。トルコフスキー案 =以下、社団法人日本ジュエリー協会、ジュエリーコーディネータ検定2級参照=
① カットされたダイヤモンドのクラウン部分から石内部に入射した光をパビリオン面で2度にわたり全反射させ、ほぼ100%クラウン部分に戻すためのパビリオンメインファセットとガードル平面の作る角度
② クラウン・ファセットから分散によってできるだけ多くの虹色が現れるようなベゼル・ファセットとガードル平面の作る角度
③ 主にテーブルから出射するブリリアンスと呼ばれる白色光の輝きと、ディスパージョン。またはファイアと呼ばれるスペクトル・カラーのバランス
以上の3点を総合的に考えて、ガードル直径の53%をテーブルパーセントとするデザイン案がダイヤモンドから最高の美しさを引き出すカットであるとし、これ以降さまざまなダイヤモンド研磨師たちが試行錯誤を繰り返し最高の輝きを追い求めるようになりました。
しかし当時このカットはそれ以前のダイヤモンドに比べて大幅な歩留まり低下を伴う形だった事と結晶学的に無視できないグレインを持っていたためなかなか実装には至りませんでした。 ※つまり現在のラウンドブリリアントカットも八面体の原石から50%以上が失われてしまいます。

同時に世界では産業革命と呼ばれる資本主義確立期の大変革、いわゆる産業革命が起こりそれまで手動や水車や牛などの動力源が、蒸気機関や電気等が使われるようになり、ダイヤモンドの世界にもそれぞれの工程を分業や協業をおこない、多くの人員を集めてより効率的に生産を行うマニュファクチャと呼ばれる研磨工場が多数出現します。
その結果1人のマスターカッターを中心に多くの工夫が各作業工程を担当する現在の形の基礎となりました。サイトホルダーの誕生もこの頃です。現在世界的に有名なダイヤモンド販売店は全て約100年前のベルギーで発祥しオランダやアメリカを拠点にマニュファクチャを開設した偉人達です。 また丁度この頃からダイヤモンドはロウソクではなくシャンデリア等の電気の明かりの元でより輝くことが求められて行きます。

エクセレントカットダイヤモンド

1990年エクセレント、1993年ハートアンドキューピッドの登場。マルセル・トルコフスキー(Marcel Tolkowsky)の「ダイヤモンドデザイン」で発表されたデザイン案は1970年頃にはその不完全性が指摘されていました。その為、ダイヤモンドの研究教育期間G.I.A.は独自にダイヤモンドの反射角度を再計算してダイヤモンドのカットグレード”エクセレント”を発表します。

トルコフスキー案は実に69年もの間理想的な形として紹介されていました。そしてダイヤモンドのグレードなどの基準を決める教育機関G.I.A.(Gemological Institute of America)は8年の歳月をかけて1988年ついにダイヤモンドのカットグレード”エクセレント”の基準案を発表します。当時日本ではAGL(一般社団法人 宝石鑑別団体協議会)により先行してダイヤモンドのカットグレードが施行されていましたが、世界的なダイヤモンドのグレードを定めていたG.I.A.基準ではカットグレード自体の採用が無く、AGL国内鑑定は4C、G.I.A.国際鑑定は3Cというダブルスタンダードの状態になっていました。
これはマルセル・トルコフスキー(Marcel Tolkowsky)の「ダイヤモンドデザイン」で発表されたデザイン案を含めそれまで発表された最も美しいとされた数々のダイヤモンドが有る中、その美しさの優劣を決める事が実際は出来ないという現状から生まれていました。
そのため市場には自称最高の輝きのダイヤモンドが多く出回り小売業者や卸売業者はもちろん消費者にとっても判断の難しい状況が続いていました。
つまり、現在もトルコフスキーカットを最高と称する風潮はこうした分かり難いダイヤモンド加工の歴史の産物でもあるのです。現在はGIAのエクセレントを最高グレードとして評価しトルコフスキー案は採用されていません。

GIAによって示されたエクセレントカット

そこでG.I.A.ではカットグレードエクセレントをダイヤモンドの光学的な美しさのバランスにおいての最高品位としてランク付けしカットグレードを決定、制定していきました。
これにより先行していた日本国内のダイヤモンドカットグレードもそれに倣う形となり、現在はG.I.A.基準で国内も統一されAGL基準は廃止されました。 美しさは感覚や感性がその判断においても重要な事から現在でも何を以て最も美しいダイヤモンドとするか?基準については様々な議論が有りつつもG.I.A.のエクセレントカット発表によりダイヤモンドのカットと研磨の歴史と変遷は一応の終着となったのです。
つまり、現在ダイヤモンドを価格決定する際に基準として用いられることの多いラパポートレポート上では同グレードの3EXとEXでは5%取引価格に差異が有ります。すなわち3EXのダイヤモンドは実際の取引価格、価値が高いという事。

フィリッペンス・ベルトはダイヤモンド研磨の巨匠

ダイヤモンドの設計図

1988年以降サイトホルダーやダイヤモンドのマニュファクチャは競ってGIAの発表したエクセレントグレードの開発競争に突入すします。そして1990年、ベルギー・アントワープのダイヤモンド研磨師フィリッペンス・ベルト(philippens herbert)率いるダイヤモンド研磨のTOPチームの手によって世界で初めて達成されます。丁度1985年にレーザー光線の研究上重要な発見があり高強度レーザーの発振が可能になります。
それまでは結晶学上無視できなかったグレインを無視してダイヤモンドを思う方向に焼き切る事が出来る”レーザーソーイング”という新しい技術が導入されたこともエクセレントカット達成の大きなきっかけとなりました。

ボツワナ世界最高品質のダイヤモンド原石
現在の技術ではレーザースキャンによってAIを駆使する事でダイヤモンド内部にどの様な内包物があり、原石から最も効率よくダイヤモンドを削り出す方法を何通りも提示させる事が出来ます。BROOCHでは原石から最適なダイヤモンド磨きだしています。

ダイヤモンドはレーザーカットで切断しています
レーザーソーイング技術が確立されるまではグリーピングしてダイヤモンドを”割る(カットする)”しか加工の手立ては在りませんでしたが、現在はレーザースキャニングをしてカットプランを立案すると、その通りにレーザーソーイングする事が出来ます。
つまり、へき開やグレインラインを見落とすと思わぬ方向に砕ける可能性のあるグリーピングに対して安定的な成果が得られ、安全なレーザーソーイングは重要な原石を中心に採用が始まり現在では殆どのダイヤモンド原石で最初にソーイングする作業で採用されています。同時に現代ではダイヤモンド原石をグリーピングするダイヤモンドカッターと言う職業は無くなってしまったのです。

ダイヤモンド研磨の鬼才ベルト氏が歴史に登場

1990年当時エクセレントカットの研磨が極端に難しい中、フィリッペンス・ベルト氏(philippens herbert)は次々とエクセレントカット研磨に成功します。ベルト氏はその後、世界各国で技術指導するなどダイヤモンド業界内でエクセレントカットのスタンダード化に貢献していきます。またエクセレントカットのダイヤモンドを多く仕上げる中で、不思議な模様ハートアンドキューピッドが浮かび上がることが分かってきました。
当初別の名前でプロモーションされていましたが、商標の問題で現在はハートアンドキューピッドと呼ばれとても高い人気を誇ります。フィリッペンス・ベルト氏はその発見から開発にも携わります。エクセレントカット達成の3年後の1993年にはハートアンドキューピッドパターンを完成させます。

ダイヤモンドを思う方向に焼き切る事が出来る

1993年ハートアンドキューピッドパターンの完成。ラウンド円には終わりがないと同様に愛にも終わりがない。ハートマークが秘められている。愛を内蔵している。
愛の使者キューピッドによって射止められたハートなど、愛の逸話をいくつも持つハートアンドキューピッドパターンですが、ダイヤモンドのカットグレードの内シンメトリー(対称性)が特に優れていればカットグレードがエクセレント以下のベリーグットでもクラウンとパビリオンのファセットの先端が一致している事や、複数存在する同種のファセットの形が合同一致している状況であれば実はハートアンドキューピッドパターンは出現することが分かっています。

ハートアンドキューピッドパターン
ハートアンドキューピッドと呼ばれとても高い人気を誇ります

2006年GIAによるカットグレードがついに導入されラウンドブリリアントカットのダイヤモンドにおいて最高位のカットはトリプルエクセレントとなりました。トリプルとはカットの総合評価に表面の研磨状態ポリッシュと研磨済みダイヤモンドの対称性の3項目の評価が全て最高のエクセレントの場合、そのダイヤモンドをトリプルエクセレントカットと呼びます。
ダイヤモンドの輝はブリリアンス、ディスパージョン、シンチレーションの3要素で構成されています。簡単に言うとブリリアンスは全体の輝き、ディスパージョンは光の分散、シンチレーションは鏡面反射、この3要素のバランスがダイヤモンドの輝きを決めていて、そのうちどのバランスをもって最高品位とするかをGIAが定めていますが、エクセレントカットの範囲の問題とその範囲内で偏ってバランスを取った場合に明らかに個性の違うダイヤモンドが混在してしまうなどの理由で「エクセレント以上の輝き」を謳うダイヤモンドもいまだに多く存在します。
しかしダイヤモンドのカット歴史との変遷はここに一応の結末を見る事となりました。

最後に宝石屋として思う事

宝石としてのダイヤモンドの魅力とは、、、、?このようにダイヤモンドはその開発の歴史の中で画一化された美しさに向かって行こうとしていたため、「不完全な中に美しさを見出す」という本来の宝石とは異なる美しさの基準を持つこととなりました。2006年の登場したトリプルエクセレントでさえ現在ではその基礎的なカットはコンピュータ制御で行う事が出来るので、ルビーやサファイアなどの色石畑出身の宝石商にとっては同じ顔で同じ印象のまるで工業製品の様なイメージ印象を持つ事もあります。
しかしダイヤモンド業界における現代の名工たちはマシーンカットのダイヤモンドがこれだけ増える中でも仕事を失わずに、むしろ腕の良いポリシャー(カッター)には仕事が集中している現実があります。何故そんなことになるのでしょうか?それは画一化された基準の中で有っても石の個性や輝きの引き出し方をそれぞれに考えながら行っているという事が有るからではないでしょうか?

ダイヤモンドの輝きの要素の内ブリリアンス(白色の反射光)とディスパージョン(虹色の反射光)はテーブルサイズとクラウン角度を最高グレードの範囲内で調整することで輝き方の調整が微妙にですが可能です。例えば“白い光を多く跳ね返させる”や“虹色の輝きを多く出す”などです。
他にもダイヤモンドから一定の距離の地点により多くの光の集中点を作り出してより輝く状況を一時的に作り出すカット、パビリオン・ファセットの角度を意図的に調整して反射する光色幅をコントロールしたダイヤモンドなど輝きの偏りを作り出した特長的で様々なダイヤモンドが市場には混在している状況です。
カラーダイヤモンドの世界ではラウンドブリリアントカットはあえてグット位のグレードに調整し跳ね返る光がよりカラーを引き立たせるようにすることは既にスタンダード化しています。上記の様なダイヤモンドが仮にトリプルエクセレント落ちの品質なら問題ないのですが、同じトリプルエクセレントの範囲内で起こっている場合はグレードが機能しているとはいい難い状況の様に感じます。

現在ダイヤモンドの世界ではラパポートレポートでもトリプルエクセレントが最も価値の高いカットとして確立されております。
BROOCHではマスターカッターにフィリッペンス・ベルト氏を迎えダイヤモンド研磨の世界で特に重要なファセットの一致が生み出す「均一な光のモザイク」と圧倒的な表面研磨によって生まれる「圧倒的なブリリアンス」を追い求め、ダイヤモンド研磨の歴史と変遷の終着点に居るフィリッペンス・ベルト氏ともにダイヤモンドの持つ究極の輝きに迫っていきたいと思います。そしてその活動を通じて一人でも多くのお客様の笑顔と装いを創造出来て皆さんに少しでも興味を持ってもらえたらうれしいですね。

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